福祉国家の未来を構想する上で、最初に立ちはだかる課題の一つが「環境保護」との関係である。
1970年代には、福祉国家の多様化を意味する「収敏の終焉」が議論の中心だったが、1990年代以降、21世紀を迎える頃には「福祉国家そのものの終焉」が深刻な議題となってきた。この変化は単に財政的な困難の問題にとどまらず、福祉国家が他の社会的課題、特に環境問題やジェンダー平等といった分野と相反する性質をもつ可能性への懸念へと広がっている。
この批判の潮流には、フェミニズムと環境保護主義(グリーニズム)がある。ここでは特に環境保護主義の観点から福祉国家の問題点に焦点を当てる。グリーニズムとは、自然との共生や環境破壊への反省を踏まえ、近代化や産業化によって生じた環境問題を根本から問い直そうとする思想である。
高度な大衆消費社会に到達した先進諸国、特に日本やアメリカでは、個人や家族の生活水準が飛躍的に向上し、新たなライフスタイルが可能になった。一方で、このような社会構造は大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とし、環境への負荷を強めている。福祉国家は、国民生活の安定を目的とするが、そのためには経済成長を継続させ、国家予算を拡大し続ける必要がある。この成長至上主義こそが、環境破壊の根源として批判されている。
この批判は資本主義国家に限らず、かつての社会主義国家にも向けられる。両者ともに産業化を推進し、経済成長を最優先してきた点では共通しており、冷戦時代のイデオロギー対立とは裏腹に、環境の観点から見ると同質的な社会システムだったと評価される。
環境問題は、自然資源の「大量採取」から始まり、「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」へと至る循環の中で発生する。1960年代にはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が農薬の危険性を訴え、1970年代にはローマクラブの『成長の限界』が資源枯渇の危機を警告した。環境問題は、エネルギーや資源の枯渇というインプット面と、廃棄物や排出物によるアウトプット面という2つの側面を持つ。特に、二酸化炭素のような一見無害な物質でも、大量排出により地球規模で環境バランスを崩すという点で、従来の公害問題よりも複雑で深刻である。
一般的に、「福祉と環境」は耳障りの良いスローガンとして両立可能な理想像のように語られることが多いが、現実には両立は容易ではない。経済成長の抑制が環境保護に資する一方で、それは雇用の減少や国家財政の縮小を招き、福祉の維持を困難にする。資本主義の構造上、労働生産性の向上は労働力の余剰を生み、失業を発生させる。福祉国家が完全雇用を前提とするならば、経済成長によって雇用機会を創出するしかない。
しかし経済成長は、環境を悪化させるジレンマを抱えている。したがって、経済成長と環境保護のバランスをどう取るかが21世紀の大きな課題である。例えば、二酸化炭素排出規制を目的とした炭素税の導入や、排出権取引制度などが具体策として検討されている。環境問題と福祉国家の維持は、トレードオフ関係にある一方で、技術革新によって両者の矛盾を乗り越える道も模索されている。
国際的には、先進国と途上国の間で生活水準の格差が大きく、環境問題に対するアプローチにも温度差がある。途上国は生活水準の向上と産業化を目指すが、それが地球環境の悪化を加速させる危険も孕んでいる。先進国が途上国に対して「産業化を抑制せよ」と説いても説得力に欠けるのは、自らが歩んできた近代化の道と矛盾するからである。
また、先進国が公害や環境破壊のリスクのある産業を途上国に移転する行為は、「公害の輸出」として批判され、NIMBY(Not In My Backyard)問題の国際版とも言える。さらに、環境問題は社会的不平等とも結びついており、貧困層やマイノリティが環境被害の最大の受け手となっている。米国ではアフリカ系住民の多い地域に有害物質処理施設が集中していることに抗議が起き、「環境正義(Environmental Justice)」の問題として注目された。
農業においても、途上国が自国の食糧安全保障を犠牲にして輸出用作物の栽培に依存する構造は、飢餓の再生産につながっている。さらに、農薬を過剰使用した作物が先進国に輸出され、消費者の健康を損なう「ブーメラン効果」も問題視されている。こうした「南北問題」は環境対策においても複雑な政治経済的利害を含み、単純な妥協では解決できない。
それでも、希望はある。福祉国家の再編後に必要とされる経済成長率は、従来考えられていたほど高くないという見通しもある。また、環境保護のための投資が新たな産業や雇用を生み出し、経済成長の新たな柱となる可能性も指摘されている。再生可能エネルギー技術や省エネ設備などの開発は、持続可能な社会づくりに貢献し、長期的には福祉と環境の両立を実現する鍵となるかもしれない。
結局のところ、福祉とは富の「分配」の問題であり、環境保護とは富の「総量」の問題である。この2つの課題をトレードオフではなく、相互補完的なものとして再構築できるかどうか。そこに、私たちの知恵と創造力が問われている。
