私たちの生存を基本的におびやかすものとして、戦争に加えて、 自然災害の問題にふれておこう。環境問題や戦争は私たちの生存・生活を支える容器が人為的要素によって破壊されるものだとすると、 自然災害はまさしく人知のおよばないところでその容器が破壊されるものである。自然災害は人類史の大きな流れの中では常に起こり、 自然の力の前での人間の無力さを感じさせてきた。しかし、日本の1960年代の高度成長や80年代の高度消費社会の達成は、経済の浮き沈みはありつつも、私たちに大災害によって人間が多数死ぬという可能性を束の間忘れさせていた。しかし、1995年1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災での六千余人におよぶ死者の存在、そして、2011年3月11日午後に起きた東日本大震災での2万人におよぶ死者・行方不明者の存在は、私たちに人間の無力さを思い起こさせ、災害に対する健忘症を深く反省させることになった。
記憶に新しい東日本大震災に巻き込まれた人々の生死にかかわる問題は、〈生〉を構成する要素としての〈生命〉〈生活〉〈生涯〉の各々の順に課題として浮上し、解決が求められていったと整理することができる。
第1に、地震・津波の災害によつて真っ先に問題となったのはいうまでもなく人々の(生命〉である。津波によって、その日のその時まで普通に生きていた人たちの(生命)が一瞬のうちに奪われていった。しかも、津波の濁流に飲み込まれてわずか数センチだけ手を建物にかけて生き残ることができたり、あるいは追いかけてくる津波から数秒の差で屋上や高台に逃げ切れたなど、わずかなところで人の生き死にが分かれていった。本来なら、救援・支援に回るはずの人たちも生死の瀬戸際に立たされる。自分の生命はその瞬間・瞬間に限っていえば、自分自身で守らなければならないということが、津波災害でいっそう明らかになったといえる。その後を支えることはあっても、災害のまさに生起するその瞬間に限れば、行政の救援が間に合うことは難しい。自らの判断
が問われ、そのための事前の学習やその瞬間での情報入手が重要となってくる。他方で、それが必ずしもかなわないことの多い高齢者・障害者。子どもたちの命をどう救出していくかへの対応が福祉的には重要な課題ともなってくる。
第2に、地震や津波から命からがら逃げ切り、(生命)を保ちえたとして、そこから始まるのが災害後の(生活)の維持・再建である。避難所にたどりつけても、そのあとの居場所、ついでは衣食住が確保できるのかどうかがある。避難所での心身のストレスや生活不活発病で亡くなる高齢者もいる。高齢者・障害者では、〈生活〉が維持できない事態は直接〈生命)を維持できない事態に至りやすい。彼らの〈生活〉と〈生命〉が直結していることを、災害は今さらながら私たちに教えてくれる。次に、仮設住宅・復興住宅などに居を構えていく居住の問題、雇用を中心とする経済生活の立て直し、家族や近隣の人間関係の再構築が必要になっていく。個々人や世帯の〈生活)の再建とともに、それを支えるであろう地域の再建がどのように達成されていくのかも重要となってくる。今回被災地となった東北地方沿岸部はもともと少子高齢化が進んでいた地域であり、そこでの復興の方向性は今後の日本社会の行く末をうらなう存在ともいわれている。
第3に、災害の難を逃れて〈生命〉を保ち、〈生活)の再建が達成されていく過程で、次第に〈生涯)にかかわる事象が浮上してくる。多くの人々が自分自身の生き死にの瞬間にかかわる経験をしており、その体験を自らの人生の過程において落ち着いて位置づけられるまでには一定の時間が必要であろう。多くの人たちが、災害死の難を逃れたことを、「自分が生かされている」という受動的な摂理として声にし、死生観や社会観の変容を語っている。また同時に、自らの(生涯)の伴走者であった家族・親族・友人などを理不尽な形で亡くした経験を多くの人々が有している。
自分は生き、なぜ彼。彼女は死んだのか。この経験と思いを人はおそらく〈生涯〉かかえて生きなければならない。さらには、死に至る事態の経験によっては、生き残った者に罪悪感が感じられるというサバイバーズ・ギルトの心理状況に長くさいなまれる者もいるであろう。
大災害の発生により、私たちは〈生命〉の危険にさらされ、その難を逃れたとして、避難から再建に至る(生活)の長いプロセスがあり、それらの事情を〈生涯)の経験や記憶として、〈生〉を営んでいかざるをえないのである。そして、地震・津波の延長上にひきおこされ、今なお続く原発被害は、(生命〉く生活〉〈生涯〉のすべてにおよぶものとなっている。それは、核兵器とは異なる形での放射能被害という問題を私たちにつきつけるものとなった。
災害は、私たちの(生)の諸側面を如実に感じさせ、その1つひとつを考えさせるものともなっている。
阪神・淡路大震災、そして続く東日本大震災では、災害直後の初動体制やライフラインの確保など危機管理のあり方が強く問い直された。また、全国各地から多くのボランテイアが救援に駆けつけ、その支援体制や方法が確立していった一方、被災者が依存から自立への道を歩むために、また、長期的な支援を続けるためにどのような方策や段階的かかわりが必要なのかということも課題とされた。また、階層によって、被害そのものの差異や、立ち直りに向けての社会的資源の差異があることも明らかになり、災害の影響が社会的弱者のほうに強く現れがちであることも再確認されている。福祉の前提として、人々の生存そのものがおびやかされないため、戦争のない世界とならび、災害を最小限の被害に抑えることの必要性を認識しつつ、人類の叡智が防災・減災の実現に到達しうることを期待するばかりである。
以上、 社会福祉の問題と国家・環境・平和・災害といった社会問題との関連について検討してきた。このうち、環境問題や戦争は人為的な帰結の要素も多いが、それに自然災害も含め、福祉がめざす人々の生活の安定のためには生存環境の安定が前提として必要であると整理することもできる。社会福祉の領域から見れば、そのような環境や平和、災害の問題は異なる次元の解決を要する問題であり、その遠さが強く感じられるという考えもあろう。しかし、社会福祉も社会構造の産物として理解され、人々の生命と生活の保持を目標とする限り、その背景たる生存環境確保のために、環境や平和、災害の問題と常に対話ができるような開かれた関係と知識をもたなければならないことだけは確実であろう。そして、環境保護、平和の希求、防災の確保の問題は、遠い未来を生きる将来の人間たちの生命と生活に思いをはせて、どのような自然や地球を残していくのかという想像力を必要とする問題なのでもある。社会福祉の問題が身近な問題から地球規模の大きさまで広がりつつあることは、私たちの想像力がどの程度の範囲にまで及ぶものかを試される場面が増加していくことなのでもある。